top of page

​木村 美智子 (MIKKO)

48FB8EE7-7046-462E-89FC-6CC452E2FA2E.jpg

1975年10月9日生まれ、現48歳

幼少期より、母親の影響で、よくカラオケで昭和歌謡を歌わされる。
これをきっかけに歌う事が好きになる。

中学生になる頃、ちょうどバンドブーム全盛期。

親友の影響でライブをちょこちょこ観に行くようになる。

同時に芝居にも興味を持ち、演劇を学ぶ。
14歳にして、一丁前に脚本を書きおろす。
 
高校生になり、演劇よりもやはり音楽がやりたくなり、全楽器に挑戦。
しかしながら全楽器に挫折。歌しか残らなかった。
18歳で完全プロ志向バンド結成。2年後には相次ぐメンバーの脱退に落ち込む。
 
21歳で、ソロアーティストとして超有名アーティストプロデュースの
元、華々しくデビューするチャンスを掴むものの、どうしてもバンドで
のメジャーデビューの夢を捨てきれず、大きいチャンスを自ら蹴るという失態を犯す。
23歳で念願の実力派バンド結成。凄腕メンバーで安心しきるも、
私の実力の無さにメンバーが相次ぎ脱退。
この頃、バックアップしてくれていた、事務所もレーベルも離れて
いってしまう…。人生最大に落ち込む。
 
残ったメンバーで、路上でのアコースティック巡業。
東京ではサポートメンバーをつけて、メジャーレーベルへ、しぶとくプレゼンライブを続ける。
しかし、心は病むばかり…。ファンも離れていくばかり…。
アイドルに混じって、サイン会を行うが屈辱な結果しか残らない…。
あらゆるイベント会場(大から小まで)で営業ライブも敢行。
苦労に苦労を重ね、気づけばもう27歳…。
 
ラストチャンスが訪れる!!正式メンバーを迎え4人で「JARRING」と名乗り、全国CDリリース!!

やっときたチャンス!!
全国のレコード店にJARRINGの名前が並ぶ!!
と、喜びもつかの間、一週間後に事務所が破綻…。CDは財産差し押さえ…。
しかし!もう限界…、私普通の女の子になります…とは思わなかったのです。
そしてここから、私の反逆の音楽人生がスタートするのでした。
 
もうメジャーにはこだわらない。インディーズで名を残す。
ライブハウスに愛されるバンドになる!!
とにかく強烈なアングラボーカリストになってやる!!
と息巻いて、女を捨てるかのように強烈な容姿に様変わり。
20年の月日が私を変えていきました。JARRINGの別名は「ジャパニーズサムライロックバンド」。
エモーショナルな歌、そしてロックなギターサウンドが売りの、硬派一徹の強面バンドとなりました。
そしてJARRINGは年間70~80本のライブ活動を行い続け、CDはライブハウスレーベルより3作、

自主レーベルで6作をリリース。
各地方、毎週のようにあちこち飛び回る。
私にとってJARRINGは戦地で10年共に戦いぬいた戦友達。
そんな戦友として築き上げられたJARRINGは、ズタボロになって10年間の活動にピリオドを打ち、

敢え無く解散。私は37歳。
 
ここまでバンド一筋、駆け抜け続けた人生を振り返り、この先何をしよう…
と考え、閃いたのが演劇でした。もう一度夢見てもいいじゃないか!と。
そして、これまでに出会ってきた、強烈な個性を持つミュージシャン、ダンサー、
クリエイターを集め、劇団vivifyを旗揚げ。
5年間で4公演行いました。
脚本、演出は自身で手がけ、劇団メンバーの愛で、4公演全て涙涙の作品に。
年間70~80本のライブ活動よりもハードな生活を劇団で過ごし、
さすがの体力と経済力の限界で現在、劇団は休暇中。

夢を追いかけるアーティストの皆さんのバックアップに精を尽くすため、2017年に

オープンした浅草(蔵前)にあるライブハウス(Asakusa Gold Sounds)で

事務・デザインを担当。

自身のバンドのセルフプロデュースでデザインを何十年とやってきた為、

出演アーティスト達のCD、ポスター、フライヤー、アーティスト写真なども

数多く手がけるようになり、気づけばデザイナーとしても地道に成長。

45歳も過ぎた頃、30代の無茶がたたり、体調を崩すようになる。

健康診断を受ける度、癌一歩手前で再検査が相次ぎ

このままでは大病目前か…?!と自分が心配になり、未病について学びだす。

疲労回復インストラクター・マインドフルネススペシャリスト・腸活アドバイザーの資格を取得。

そんな中、体を使って歌を歌うことによる健康効果をより実感するようになり、

コロナ禍で元気がなくなった人も多くなった今、歌でもっと人を元気にしたいという思いが強くなり

2023年から新たなボイストレーニングスクールに生まれ変わらせるべく、

Asakusa Gold Sounds(ライブハウス)を2022年いっぱいで退職しボイストレーナー

メインでの新たな人生が始まる。


長く私の生い立ちを説明させていただきましたが、これが私の全てです。
敢えて、嘘なく真実のみを面白おかしく書きました。
お読みいただいた通り、私は華々しい成功はおさめていないかと思います。
決して有名人ではなく、地下を這いつくばる苦労人です。
しかし、この全ての経験は誰しもが出来るものではないと思っています。
正直、悔しさのかたまりでした。20代の頃は1日も欠かさず個人練習に励みました。
だからこそ、私にしか歌えない歌を今は歌えています。

現在もバンドも弾き語りもどちらも活動中!

スセリtradition(バンド)、MIKKO&SHU(弾き語り)、月2~3本のライブを現役で続けております。

これまでメジャーのレーベルの方々、インディーズのレーベルの方々。
はたまたプロダクションの方々。ライブハウスの方々。
あらゆる方々と交わってきました。
だからこそ、知っている知識もあります。
敢えて私は、個人でボイストレーニング教室を開きました。
私が与えられるもの全知識と経験の全て、私に頼ってくださる全ての方々に惜しみなくお渡しできるよう、一人で活動しております。

 

​大事なことを書きそびれていますが、私は20代の約10年間、

一流のボイストレーナーの元で修行を積んでおります。
初めは、美空ひばりさんに楽曲提供などもしていた、有名作曲家のもとで、

JAZZをはじめとする歌唱法を学び、そして当時、SONY所属のアーティスト専属の一流ボイストレーナーの元でも、毎週泣きながら(あまりの怖さに)レッスンに励み、
その後、日本を代表するアーティストのバックコーラスを務めているゴスペルシンガーの先生の元で
最終修行を積み、おかげさまで知識だけは一端にあります。
​一応、アングラロックボーカリストではありますが、私は日本のトップクラスの先生方に育てていただいております。なので、ご安心ください♪

 

もし、一人で悩んでいるのなら、私を頼ってください!!
必ず背中を押してみせます!
私のような無駄な苦労がないように…。
​歌のみならず、精神面サポートも致します♪
​どうぞご気軽にご連絡ください。

 

埼玉県八潮市の情報ポータルサイト『やしおん』さんにて4話に分けて記事連載中!
八潮市内で活躍するキーパーソンの方を取り上げる、不定期連載の
【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】シリーズ

Act1.どうして私が歌い手になったのか? — MIKKOのライフ&サウンド➡記事はこちら
Act2.本格ロックボーカリストへの道のり  — MIKKOのライフ&サウンド➡記事はこちら
Act3.ボイストレーナーになる!そして新たな道への挑戦!— MIKKOのライフ&サウンド➡記事はこちらAct4.コロナ禍での目覚め!本格ボイストレーナーとしての覚悟、ゴスペル教室も始動記事はこちら

data20240717-2-780x780.webp
S__34643985_0.jpg
bottom of page